父の入院・1(救急搬送)

これを書いている今はすでに11月ですが、
この日(10/23)、実家の父が倒れて救急搬送されました。
診断名は「ウェルニッケ脳症」です。
一時は危険な状態でしたが、幸い、回復して、
退院もそれほど先ではないくらいになりました。

倒れた当日からの数日間は特に、ばたばたと過ごしましたが、
家族一同、ほっとしています。

しばらくはこの memo もお休みしていましたが、
我が家の一大事の記録として、なるべく時系列に沿って
思い出しメモを綴っていこうと思います。


**********


いつものように起きていつものように朝食をとっていた時、
母から電話がかかってきました。
メールはともかく、そんな時間に電話がかかるなんてめずらしくて、
「どしたの〜?」と出たら、
「落ち着いて聞いてね〜、
 お父さんが倒れて救急車で運ばれたのよー」
と言われて、えええええ!

「今、****(市内の某病院)にいるから、
 今日、仕事休んで来てね」
「おっ、うん、うん!
 おっ、お母さんは大丈夫? 大変だったね、がんばったね!」
「S(←姉)にもさっき電話したら、あの子泣いちゃって〜」
「いやー、びっくりするよそりゃあ……。
 あっ、で、お父さんは今、どうなの!? 意識あるの? どこが悪いって?」
「わからないのー。意識はないのー」
「そっ、そうか、わかった、ご飯食べて支度したらすぐ行くよ!」
ということで、どきどきしつつも
「もしかしたら、しばらくはまともにご飯食べるのは
 これが最後になるかもしれないな」
と思いながら、朝食の続きを食べました。

最初は一人で地下鉄で移動するつもりだったけれど、
あとは化粧だけ、という段階で姉からLINEが来て、
タクシーで拾ってもらうことになりました。
金曜の朝はいつも道路が混むし(何でだ?)、
雨降りで、しかも近所で工事が始まったりもしていて、
なかなかスイスイ進めなくて、ものすごくかかってしまったような気がするなぁ。
気分的なものも大きいんだろうけれど。

9時近くになってようやく病院に着いてから、
会社に欠勤の連絡をするために、姉に先に行ってもらったのだけれど、
母から連絡のあったICU(集中治療室)に行ったら
母も姉もいない……?
スタッフさんに聞いたら「家族控え室でお待ち下さい」と言われて
そちらに向かったけれど、そこにもいない……?

どこ行っちゃったんだと思いつつ、姉や母にLINEやメールをしたら、
しばらくして2人が連れ立って登場して、やっと3人で合流できました。
家族控え室には他にも待機している方がいて、
話をしづらい雰囲気、っていうか私語は控えないといけない空間だったので、
ICUの外の、通路のソファーで話していたらしいです。

姉は母から状況を詳しく聞いたそうなので、
今度は姉に控え室で待機していてもらって
私と母が外に出て、話を聞かせてもらいました。
(母が心細いんじゃないかと不安で
 少しでも早く、姉と合流させたほうがいいと思って
 先に行っていてもらったのだけれど、
 ちょっと二度手間になっちゃって、かえって疲れさせちゃったなぁ……)
そんなこんなで、母によるとだいたいはこんな感じ(↓)。


  • 深夜というか未明というか、1時半とか2時くらいに、
    母がトイレに起きた時に、父が自分の部屋の前でうずくまっているのを発見。

  • 転んで口元をぶつけたみたいで、顔や服に血が付いていた。
    あと、手足がとても冷たくなっていた。

  • 「どうしたの? どこか痛い? 救急車呼ぶ?」と聞いたけれど
    本人は「救急車、いらない」と拒否。
    でも、様子がおかしいのと不安になったのとで、119番に電話。

  • 少し時間がかかって、救急隊員到着。
    大きいお兄さんに3人がかりで抱えられながら乗り込んで、
    車内でどこが悪いか調べたり、母に問診したり、受け入れ先を探したりで10分程度(母談)。

  • 病院に到着するまでに、父の意識はなくなっていた。
    搬送後、ICUに入って検査&処置開始。
    口の中を切っていたらしく、3針ほど縫ったらしい。

  • 母、姉&私に呼び出しの連絡。


母によると、今朝、突然異変があったというよりは、
1週間前から少しずつ具合が悪くなっていった、らしいです。
両親とも、今、71歳なのだけれど、年のわりには元気で
父もあちこちへ自転車で出かけたりしていたのに、
足の力が弱くなって坂道を登るのが辛くなってきた、と言い出したり、
やたら寒いとか眠いとか言い出したりして、
でも、年相応といえば年相応だし、
でもでも、急にどうしたのかな、風邪かな、とも思っていたんだって。
(このへんについては、また詳しく書きます)

だいたいのことはわかったので、
とりあえず、家族控え室に戻って待機していたら、
看護師さんに呼ばれて父と面会できるようになったので
ICUの中へ移動しました。

父は、入口からだいぶ進んだ、奥の病室に寝かされていました。
身体中のあちこちにいろいろ刺されてケーブルが繋がっていて、
素人目にも「あれっ……、これ、ものすごくヤバイ状態……?」って感じでした。
口元やヒゲにちょっと血が残っていて、
「そういえば、切って縫ったとか言ってたなぁ」とぼんやり考えたりしていました。

3人で、代わる代わる父の耳元で話しかけたりしたものの、
反応はありませんでした。
病院側の説明によると、今の父の状態は、


  • 血圧が極端に低い
    (血管が開ききってしまった状態?)
  • 血中のアルコール(エタノールとかメタノールとか)の数値が高い
  • その他、臓器的な異常は見つからない
  • 病気というよりは感染症のように思われる
    (体内に菌やウイルスが入り込んでしまった?)


……のだそうで。
私はてっきり、脳とか心臓に突発的な何かが起きたのか、
と思っていたけれど、そうじゃないんだ……?
血中のアルコール濃度云々に問題があるということで、
「普段、お酒って飲まれますか? どれくらい?
 最近銘柄を変えたとかは?
 隠れて大量に飲むようなことは?」
って、母はすごく念入りに聞かれていたなぁ。

母によると、両親は普段、
「日本酒に換算して2、3合程度」をそれぞれ嗜んでいたそうです。
ビールだったり日本酒だったりウィスキーだったり、
その日の気分によって、飲むものはまちまちだったみたい。
それぞれ、銘柄はお気に入りのものがあって、
最近、急に変えたようなことはないって。
あと、飲む時は常に自宅で、
例えば父だけが出かけて外で飲むようなことはなかったので、
母が把握している以上に大量摂取している可能性もない、って。
それから、ここ2、3日は、食欲も落ちてお酒も控えめだったって。

あと、飲料用ではない、燃料とかを飲んだり舐めたりしちゃう病気(?)があって、
その可能性も聞かれたりしました。
それから、何らかのサプリメントや薬を大量に服用した可能性も聞かれたけれど、
そもそもそういうの、まるっきり信じないタチだし、
病院とか薬も苦手なんだよねぇ。

そんな話を聞いたりしているうちに、
横たわったままいろいろなケーブルに繋がれた父の姿がショックだったのか、
姉が少し気分が悪くなったみたいで先に控え室に戻っていきました。
私と母も、その後しばらくは話を聞いたり父の手を握っていたりしましたが、
一旦戻って、担当の先生との面談を待つことになりました。

面会前は、控え室の椅子に座っていたけれど、
疲れてしまったのと落ち着かないのとで、
畳スペースでごろんと横になって待たせてもらっていました。
「30分ほどお待ちください」と言われていたけれど、
結局、1時間近く経ってからかなぁ、
やっと担当の先生のお時間が取れたみたいで、面談ができるようになりました。

先生はほんとうにお忙しそうで、
少し話し始める度に呼び出しのケータイ……じゃなくてPHSだったっけ?
とにかく、すぐピルルルッと鳴り出して、まるでコントのようでした。
(こんな状況だけれど、あとでちょっと笑ってしまったわ)

面談の内容としては、
さっき、父の病室で説明を受けたことを改めて整理して聞く感じだったような。
先生方も、私たちからの聞き取り調査を参考にしつつ、
年のわりにたくましすぎる父の身体にも驚かれつつ
(「何かスポーツされていたんですか?」って。
 マウンテンバイクを乗り回しているだけですけれども)、
ここ数日間での体調の変化があまりにも急で、不明点が多いけれど、
もう少し精密な検査をして、できる限りのことをしていく、とのことでした。

こちらの、家族側のキーパーソン(代表者)としては、
ちょっと負担が大きいかもしれないけれど、母に担当してもらうことにして、
何かあったらその次は姉、私、という順で連絡をもらうようにしました。

父のことは心配だけれど、現時点で私たちにできることはないので、
プロである先生方にお願いをして、私たちも帰宅することにしました。
この時点で、11時半くらいだったかなぁ。

病院からみんなでタクシーに乗って、
私は母が心配だったので、自宅ではなく実家の方で一緒に降ろしてもらいました。

夜中に母が父を発見したのは
父の部屋を出てすぐの、冷蔵庫の前だったみたいで、
丸い形に、流血を拭き取った痕が残っていました。
お父さん、こりゃ、けっこう、血、出たね……?
まぁ、縫ったくらいだし、そりゃそうか……。
そして、そこを掃除したあとトイレに行こうとしたら、
トイレの入り口に近い洗面台の手前左の側面に、
血のついた手で触ったような血痕があるのを発見。
ちなみに、冷蔵庫前のも、この洗面台のも、
母は家を出る前は気付かなかったそうです。
いや、うん、それは無理なかったと思うけれども。

うーん、もしかしたら、父は、
トイレに行こうと目を覚ましたけれど部屋を出てすぐに転んで口元をぶつけて、
それでも、根性でトイレには行って、戻ってきた時に力尽きて動けなくなっていた、
……とか、かなぁ。
そんな経緯なんて、今はもう、大した問題ではないけれど。
何はともあれ、母の発見が遅れていたら、
今よりもさらに大変な状況になっていたかもしれないです。

お昼は、母と一緒にカップ麺を食べました。
母は、買い置きの中から自分で大きな焼きそばを選んだけれど、
半分近く残していました。

明日は、私と母の2人で、朝一番にまた病院に行くことを決めて、
待ち合わせの時間を決めて、2時頃に家へ帰りました。
落ち着かない気分を持て余して、
布団をベッドから持ってきて横になったまま
延々と録画を消化しつつ、身体を休めていました。

……ら、夕方になって、母から電話が。
「えっ、もしかして」と最悪な状況を覚悟して出たら、
だいぶ明るい、力強い声で、病院から連絡があったと教えてくれました。

担当の先生が、父の今の症例について、
「血液透析」が有効ではないかと突き止めて、
一刻も早く処置をする必要があるので
明日、同意書にサインしてほしいと言われた、って。

↑実はこれ、緊急時は電話で家族に了承を取ってもOKだそうで、
母への電話の後、すぐに処置が始められたことを翌日知るのですが、
母が勘違いしたのか私が聞き違えたのか、
私は「今すぐ行こうか!? 私だけでも! 娘のサインでもいいよね?」と
一瞬、大騒ぎしてしまいました。
でも、だって、原因不明って言われて不安だったけれど、
ちょっと希望の光が見えたというか、
治療法が見つかった、かも、って、うれしかったのです。

そんなわけで、母と電話でひとしきりキャッキャした後、
明日、乗る予定のバスを少し早めて、父にまた会いに行こう、ということになりました。

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桜衣淑乃(SAKURAI Yoshino)
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